タイは実はインド型の他民族国家(?)
NESDBは労働力不足への対策として、生産性向上、小規模事業者の周辺国への移転を促し、周辺国ととも経済発展を目指すことなどを提案している。タイの労働人口は現在3901万人で、登録済みの外国人労働者は138万人とされる。但し、現実には外国人労働者は300万人に達すると推定されている。
タイは典型的な階級社会だ。タイ人はミャンマー人、カンボジア、ラオス人を自分らより下の階級とみなしている。ベトナム人は、タイ人の色白肌崇拝から、自分らと同等の民族と考えているらしい(タイ人へのヒアリングより)。
ところで、書物やインターネットでは、タイは民族的にはタイ人が85%、支那系10%、残りが少数民族とされる。しかし、実際にタイへ行って、バンコクのBTS(高架鉄道)やMRT(地下鉄)に乗車してタイ人を観察してみると良い。肌の色は本当に様々だ。黒い人、浅黒い人、日本人並みに色白の人もいる。人種的にも、タイ人に加えて西洋人、インド人、マレー人などバラエティに富む。加えて宗教も多彩だ。実はこれがタイの実態であり、決してタイ民族85%の国ではない。ベトナムがほぼキン族単一民族の国なのとは対照的だ。華人系タイ人は自分らを決して支那人とは言わない。かれらは支那名があるにも関わらず、「自分はタイ人」だと言い張る。彼ら上層部タイ人は、「華人系だということがタイ社会では不利に働く」ことを熟知しているのだ。
18世紀、タークシン王朝でタークシン国王の支那名は「鄭昭」だった。タークシンは文武両道の王で、アユタヤ朝滅亡後、敵対勢力のピサヌローク国主、ナコーンシータンマラート国主、ピマーイ国主、プラ・ファーンなどを次々に討伐し、北部ランナー国を属国とし、さらにアユタヤ朝時代の属国であったカンボジア、ラオスをも次々に回復している。
しかし、タークシンは自分が中国系の血を引いていることを忌み嫌い、アユタヤ王朝の血を引いていないことに強いコンプレックスを抱いていた。
それによって晩年は精神錯乱をきたしたとされる。例えばある日タークシンは突如「朕は阿羅漢の境地に達した」と言いだし、僧侶に自分を礼拝するよう命じたことがあった。タイの仏教では民間人が阿羅漢に達しても、僧がその人に礼拝することは罪とされるので数名の高僧が礼拝を断ったが、断った僧は捕えられて僧籍を剥奪された上、鞭打ちの刑に処された。このときの僧の慟哭はトンブリー中に響きわたったと言われている。
モンゴル人、満州人、ウイグル人、キルギス人、チベット人、朝鮮人、突厥人など次々と他民族を同化する、まるで「スタートレック」の「ボーグ」のような支那人だが・・・どうも「マイペンラーイ」なタイ文化にだけは歯が立たない。バンコクのヤワラート(チャイナタウン)には、タイ女性にだまされて一文無しになった華僑がたくさんいると聞いた(人ごとではない)。
個人的な印象による仮説だが、タイはインド文明の影響を大きく受けている。おそらくタイ文字と同じくクメール帝国を通じてだろう。そして、時代毎の支配民族が同化されて社会に沈殿していくのではないか。タイ文明の包容力はインド文明の如く大だ。
ASEANを見渡すと、インドネシアは多民族・多宗教国家だ。アジア通貨危機当時は、経済がおかしくなって華僑系インドネシア人の商店が略奪されたのは忘れられない。ほぼ単一民族のベトナムは1986年からドイモイ政策で共産主義に市場経済を導入したが、経済混乱時にも大きな混乱は無かった。これは民族がほぼ単一で宗教もほぼ単一ということに原因があると思う。多民族・多宗教国家では、インフレや不況など経済が揺れたときには社会的な混乱が起こりやすい。
タイの場合は現在、プミポン国王が「象徴」・「錦の御旗」としてタイ人をまとめあげているという印象をもっている。タイ株式市場にとっては王室の将来は社会・経済に直接影響をもたらす大きな懸念材料だろう。